詠坂雄二著『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」の 作品内の時代と作品内年表
『日入国常闇碑伝』は作品内独自の時代や元号、色々な登場人物が出て時系列もややこしく感じる部分があります。
今回は「雨鉄炮」内で判明している出来事を年表にまとめました。
ただ今回の作品「雨鉄炮」は、闇佐が「雨鉄炮」の調査に行った明確な年は作中には書かれていません。
なおかつ、雑誌と新書でも違いがあります。
①
新書:正体すら知れぬまま二十年以上が経ち(p.134)
雑誌:正体すら知れぬまま十年以上の時が経ち(p.224)
②
新書:神藤七宗が常闇に呑まれて二十余年、(p.158)
雑誌:神藤七宗が消えて十数年、(p.240)
と、新書と雑誌では十年ほどの違いがあります。
常闇発生は白永三年なので、
新書で計算すると舞台は白永二十三年以降、雑誌だと白永十三年以降になります。
もしかしたら短編「炎吹刀」の時期とさほど変わらなくなるから変更されたのかとも考えています(「炎吹刀」の時期は常闇発生より十七年後になります)。
ここでは新書のほうを採用し、闇佐が雨鉄炮の調査へ赴いた年も白永二十三年頃としました。
それらをふまえて御覧ください。
―百葉時代―
●百葉時代中期:鉄炮が伝来する。
●兵は大部分が士農一体であった。
●大規模な戦はすべて農閑期に行われていた。
―常闇時代―
【白永三年】
常闇が発生する。常闇と共に生じた混乱の際に形女衆の放ち手たちはほとんど死亡した。
【白永二十三年頃】(常闇発生二十年後)
①の半年ほど前:放己が雨鉄炮退治に出、それきり帰らなくなる。
①の数日前:闇佐は腹唐総衛門より目森へ向かい、村長の望みに与力せよと命じられる。
①(朝):闇佐が村長の以来を受ける。その後闇佐、テナガ、カタメは砂州へ出発する。
①の半日後(夕方):常闇に入る少し前で一泊する。
①の翌日(昼前):常闇に入る。(②)
②の四時間ほど後:山に入る。(③)
③の後:谷底の村に到着し、放己と戦い、雨鉄炮を手に入れる。
ー常闇消失後ー
●常闇時代より一世紀以上あと:レガリア人による雷汞を使用した雷管の発明と金属薬莢による弾薬の開発。
●常闇最奥部は徹底的な清めが行われた。
●毎年夏季に雨鉄炮祭が行われる。
●テナガ、盛石城陥落と命運を共にする。(※)
(※)テナガが放己を殺した時は幼い子だった。テナガの年齢の記載はなく、この時を仮に十才とする。
テナガの活躍期間は約七十年と書かれているので、テナガが死去したのは約八十才前後かと考えられる。
放己を殺した約六十年後に常闇が払われる。
常闇時代終焉の際は七十才前後で、テナガは常闇時代以後存命した可能性がある。
コメントなどあればお気軽にお願いします。
ご覧いただきありがとうございました。
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