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【検証】『日入国常闇碑伝』常闇の正確な発生期間

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2020年4月29日水曜日

『日入国常闇碑伝』「英雄蠅」#9

【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』(講談社ノベルス)「英雄蠅」検証第9回



詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。

『日入国常闇碑伝』の「英雄蠅」検証第9回目です。
今回は光介が見ている常闇の情景の場面から、闇佐が光介に闇光の感じ方を押している場面までになります。

以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。





・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。

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「英雄蠅」#9


【新書→雑誌】・四つの眼を持つ野犬や、(p176上)→額に二つ、計四つの眼を持つ野犬や、

【新書→雑誌】・いずれも通常の獣が常闇で変化しただけであり、妖魔と呼ぶには及ばない。それらは襲いかかってくる様子なく、むしろふたりを避けてゆくのだ。(p176上)→襲いかかってくる様子なく、むしろ二人を避けていくのである

【新書→雑誌】・そうした平和な道程であったため、光介は風景を存分に観察することができた。(p176上)→ともかくも平和な道程となり―ために、光介は常闇を存分に観察することができたのだ

【新書→雑誌】・見渡す限り広がって震えていたり、(p176上)→見渡す限り広がってふるふると震えていたり

【新書→雑誌】・また双頭の蛇が茂みで回転していたり、(p176上)→双頭と言うべきか、三つ又の手裏剣のような形状をした蛇が茂みで回転していたり、

【新書→雑誌】・行き倒れた人や獣の死骸には、ここ常闇でも蠅が集り、蛆が湧いている。(p176下)→行き倒れた人や犬の死骸には蠅が集り

【新書→雑誌】・やはり布袋を被った者が釣り糸を垂れる姿もあった。(p176下)→やはり布袋を被った者が釣り糸を垂れる姿に行き会ったりした

【新書→雑誌】・常闇に呑まれた七宗公が今も生きているといった噂はありますが、(p176下-177上)→常闇に呑まれた新後守が今も生きているという手の噂は山ほどですが

【新書→雑誌】・常闇に入れば老若男女身分の上下も関係なく、(p177上)→常闇に入れば老若男女身分関係なく

【新書→雑誌】・「ここは浮世ではなく、彼岸に近い場所とも言われます。人を率いて天下に覇を唱う。そうした欲が似合うところではないでしょう」「先生も出世に熱心ではなかったが」(p177上)→「ここは浮き世でなくあの世に近いとも言われます。常闇に耐えられる者は、すでにして生きてはいないのだと。少なくとも人を率いる、天下に覇を唱う―、そうした才には恵まれないものなのでしょうね」「確かに、刀冶朗先生は出世に熱心ではなかったが」

【新書→雑誌】・すると、見えぬはずの闇佐が見えた。(p177下)→すると、見えぬはずの闇佐が見えた。正確には、その衣服を纏わぬ裸体が。

【新書→雑誌】・躰付きだけでなく、表情や瞳を閉じていることまで眼で見ずとも判るのだ。(p177下)→躰付きだけでなく表情、瞳を閉じていることまで判る

【新書→雑誌】・躰より発せられる闇光が、躰の輪郭を瞼に映し出しているようだった。(p177下)→闇光を見ている―否、感じているのだと光介は察した。闇光は躰より発せられる。つまり躰の輪郭を反映しているのだろう。そこまではよい。しかしそれを見るのは眼で、ではないようだった。

【雑誌のみ】・闇光は、躰でなくたましいで感じている、といったあたりが落としどころのようです」(新書p177下11行目“続けたそうです”の後に入る)



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#10へ続きます。

次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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