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【検証】『日入国常闇碑伝』常闇の正確な発生期間

詠坂雄二『日入国常闇碑伝』(講談社ノベルス) ー常闇の正確な発生期間ー 詠坂雄二『日入国常闇碑伝』の「常闇」の正確な発生期間が曖昧にしか書かれていないので、作品内から検討をつけました。 以後ネタバレがありますので作品読了後にご確認ください。 こちらのブログも...

2020年4月3日金曜日

『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」#5

【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」検証第5回



詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。

『日入国常闇碑伝』の「雨鉄炮」検証第5回目です。
今回は常闇とはどういうものかという解説部分と「雨鉄炮とは?」と闇佐が村長にたずねている辺りの場面になります。

以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。



・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。


「雨鉄炮」#5


【新書→雑誌】・清菜幕府は闇払令を布告したが、その実現はおろか正体すら知れぬまま二十年以上が経ち、今でも常闇は、(p134下)→清菜幕府は常闇払いを諸国に布告したが、その実現はおろか正体すら知れぬまま十年以上の時が過ぎ―今も常闇は、
※詳しくは以前のブログ「雨鉄炮」#1を御覧ください。

【新書→雑誌】・日の入りで常闇吟味がための知恵と知識が集積する中心となっていた。(p134下)→日の入りで常闇吟味に携わる人々の知恵と知識が集積する中心であった

【雑誌のみ】・その常闇万請負役とは、言い切るなら常闇の専門家である。(新書p134下9と10行目の間に入る)

【新書→雑誌】・「儂らに判っとるのは、(p134下)→「なのでしょうな。儂らにはよぉ判らんことです。判っとるのは、

【新書→雑誌】・形女の意気はまだ残している。(p134下)→形女の意気はまだある

【新書→雑誌】・話はやはりそこに立ち戻ってしまう。それが判らぬのですじゃと村長も繰り返す。(p135上)→「それが判らぬのですじゃ」

【新書→雑誌】・かつて形女衆が本拠としていた土地―砂州は、常闇の最奥部にある。当然、今では人の住めない場所となっていた。(p135上)→かつて形女衆が本拠としていた砂州と呼ばれた土地は、常闇のほぼ中央部にある。当然、常人は住めぬ土地だった
※人の世で暮らせない咎人などは、常闇に入っていくけれどすぐにもしくは、ゆくゆく正気を保てなくなるので定住できないということで訂正されたのでしょうか。

【新書→雑誌】・常闇発生より時が経ち、草木に覆われて不自然でない歳月も流れている。(p135上)→常闇発生より十数年、草木に呑まれても不自然でない歳月が流れている。
※詳しくは以前のブログ「雨鉄炮」#1を参照ください。雑誌の常闇発生後十数年だと「炎吹刀」の時期とさほど変わらないから変更されたのかとも考えられます。

【新書→雑誌】・諸々の設備は常闇発生と前後して放棄され、(p135上)→諸々の設備は、常闇が発生した際に放棄され

【新書→雑誌】・形女衆はそれらを取り戻すのが悲願となった。(p135上)→形女衆残党はそれらを取り戻すのが悲願となっていた

【新書→雑誌】・ゆえに何度も常闇侵入を試みている。闇佐からすれば無謀と言うしかない。(p135下)→ゆえに、何度も常闇侵入を試みた。闇佐からすればほとんど無謀と言うしかない。

【新書→雑誌】・十人が足を踏み入れれば七人までがまず狂うとされている。(p135下)→十人が足を踏み入れれば、七人までがまず問答無用に狂うとされる

【新書→雑誌】・日輪の下では暮らせぬ罪人、(p135下)→お天道様の下では暮らせぬ罪人、


コメントなどありましたらお気軽にお願いします。
#6へ続きます。

次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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