【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」検証第20回
詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。
『日入国常闇碑伝』の「雨鉄炮」検証第20回目です。
「雨鉄炮」の検証は今回と次回で終了です。
今回は見つかった雨鉄炮をどうするかの場面からエピローグ前までの場面になります。
以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。
・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。
「雨鉄炮」#20
【新書→雑誌】・焼け跡からは焦げた遺体が見つかった。寸断されたものもあれば形を保ったものもある。十体は下らない。形女衆の放ち手たちだろう。(p156下)→焼け跡からは焦げた遺体がいくつも見つかった。いずれかは寸断され、いずれかは形が保たれている。十体は下らぬ数だ。いずれも形女衆の放ち手たちなのであろう。
【新書→雑誌】・風合いは石であるが、見たとおりのものかどうかは怪しかった。(p156下)→見た風合いは石であるが、見たとおりの肌触りであるかどうかも怪しかった。
【新書→雑誌】・闇佐は手を伸ばしかけ、考え直してテナガを呼んだ。訝しげな表情の鬼子に言う。「お主が持つべきだろう」(p156下)→闇佐は手を伸ばしかけ、考え直してテナガを呼んだ。テナガは訝しげな顔で何じゃと応える。闇光の強さは感じ取れるが、やはり近すぎ、よく判らぬのだ。闇佐は言った。「雨鉄炮だ。お主が持つべきだろう」
【新書→雑誌】・むろん尋常な想いでは駄目だ。狂気のように持続する想いのみが形を成すのである。(p156下-157上)→闇佐はそれを知っていた。だが強さが何より求められるがゆえ、計算高い思案では形を成すには至らない。狂気以上の持続する想いのみが形を成すのだ。
【新書→雑誌】・そうしてこの石は生まれたのだろう。(p157上)→そうしてこの石は生まれた。雨鉄炮として形を成した。
【新書→雑誌】・形女衆の村が常に雨に覆われていると聞いた時から訝しくはあったのだ。(p157上)→そう、最初から訝しくはあったのだ。形女衆の村が常に雨に覆われていると聞いた時から。
【新書→雑誌】・そこに常闇の妖力が働いているとは露思わずに、闇佐はそう理解してしまった。(p157上)→そう闇佐は解した。そこに常闇の作用が働いているとは露思わずに。
【新書→雑誌】・至近に雨を降らせ、石を持つ者のみは濡れずに済む。必然、持つ者だけが鉄炮を放つことができることになる。(p157上)→至近にのみ雨を降らせぬことができる。つまりその石を持つ者は雨に濡れぬ。周囲は濡れる。必然、持つ者だけが鉄炮を放つことができるようになる。
【新書→雑誌】・その魔力は、鉄炮の放ち手であればすぐに理解できるものだっただろう。ゆえに呑まれ、魅入られたのだ。(p157上-下)→焔硝小屋に収められていたということは、その力は鉄炮の放ち手であればすぐに判ることだったのだ。ゆえに呑まれたのやもしれぬ。
【新書のみ】・闇佐は思案し、首を振った。(p157下)
【新書→雑誌】・鉄炮とは、組織された集団でなければ運用のおぼつかない兵器である。(p157下)→鉄炮とは組織されねば運用おぼつかぬ武具である。
【新書→雑誌】・扱ううちに独立不羈の精神も強まろう。(p158上)→独立不羈の精神も強まろう。
【新書→雑誌】・神藤七宗が常闇に呑まれて二十余年、俄に放ち手が暗躍しているという報せを案じての探りでもあったのだが、それも終わった。(p158上)→常闇により神藤七宗が消えて十数年、俄に放ち手が動き始めているという報せが上がっていたのだ。そして此度の探りとなったのだが―それも終わった。
※詳細はブログ「雨鉄炮」#1を御覧ください。
【新書→雑誌】・鬼子の耳に形女衆の呪いが響いていたことを闇佐が知るのは、ずっとあとのことである。(p158上)→テナガの耳に放己が今際にかけた呪いが響いていたことを闇佐が知るのは、ずっと以後のことである。
コメントなどありましたらお気軽にお願いします。
#21、次回で「雨鉄炮」最終回です。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。
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