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2020年4月23日木曜日

『日入国常闇碑伝』「英雄蠅」#3 守峰刀冶朗の最期

【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』(講談社ノベルス)「英雄蠅」検証第3回


詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。

『日入国常闇碑伝』の「英雄蠅」検証第3回目です。
今回は導入部分後半から、守峰刀冶朗の最期がどのようだったか手下からの報告を受けた場面までになります。

以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。


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・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。


「英雄蠅」#3


【新書→雑誌】・しかしながらその死についての記録は意外なほど残っていない。(p164下)→しかしながらその死は意外なほど記録されていない

【新書→雑誌】・「石冬六年、齢四十五ノオリ、常闇ニテ新奇ナル獣トアヒ、心ノ臓ヲ貫カレ果テル」(p165上)→「石冬六年、齢四十五のおり、常闇にて新奇なる獣とあい、心の臓を貫かれ果てる」

【雑誌のみ】・果たして刀冶朗の身に何が起こったのであろうか。(新書p165上12行目の後に入る)

【新書→雑誌】・峰邑家常闇奉行、腹唐総衛門はまずそう述べた。(p165上)→峰邑家譜代、常闇奉行を努める腹唐総衛門はまずそう述べた。

【新書→雑誌】・まだ子供の純粋さも覗ける顔立ちである。(p165下)→まだどことなく子供の純粋さも覗ける顔立ちである。

【新書→雑誌】・しかし笹目に入りてすでに八件。(p166上)→しかし笹目に入りてすでに八件の報告が来ておる

【雑誌のみ】・詳しくは言えぬが、(新書p166上3行目“他家に潜ませし者”の前に入る)

【新書→雑誌】・だが今月に入ってから報告が相次いだということは―(p166上)→だが笹目月に入ってから報告が相次いだということは―
※笹目月は独自の暦です。詳しくはブログ「英雄蠅」#1をご確認ください。

【新書→雑誌】・「刀冶朗先生の葬式よりあとに現れるようになった、ということでありまするか」(p166上)→「刀冶朗先生の葬式よりのちに現れるようになった、

【新書→雑誌】・守峰刀冶朗の死は先月末のことだ。(p166上)→守峰刀冶朗が戦死したのは魚雨月の末のことである。
※魚雨=うおさめ ブログ「英雄蠅」#1をご確認ください。

【新書→雑誌】・常闇で死んだ者には珍しいことでもない。(p166上)→常闇で死んだ者にはよくあることである

【新書→雑誌】・死地より生還した手下の報告によれば、刀冶朗は胸をの放った石槍に貫かれて果てたという。(p166上)→死地より生還した従者の報告によれば、刀冶朗は胸を魔物の放った巨大な石槍に貫かれて果てたという。
※巨大な、という部分は削除されていますが、のちに出てくる刀冶朗の傷の描写は、巨大な穴が空いているとなっています。

【新書→雑誌】・見たこともない巨大な甲虫のようなで、(p166上)→それまで見たこともない巨大な甲虫のような魔物で、

【新書→雑誌】・彼はこの上役を信頼していた。(p166下)→彼は無条件にこの常闇奉行を信頼していた。

コメントなどありましたらお気軽にお願いします。
#4へ続きます。

次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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