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【検証】『日入国常闇碑伝』常闇の正確な発生期間

詠坂雄二『日入国常闇碑伝』(講談社ノベルス) ー常闇の正確な発生期間ー 詠坂雄二『日入国常闇碑伝』の「常闇」の正確な発生期間が曖昧にしか書かれていないので、作品内から検討をつけました。 以後ネタバレがありますので作品読了後にご確認ください。 こちらのブログも...

2020年4月6日月曜日

『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」#8

【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』「雨鉄炮」検証第8回


詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。

『日入国常闇碑伝』の「雨鉄炮」検証第8回目です。
今回は闇佐がテナガと対面したところから雨鉄炮退治に出た直後までの場面になります。

以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。




・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。


「雨鉄炮」#8


【新書→雑誌】・まず左の瞼が閉じられていた。眼球が失われているようだ。(p139上)→まず片眼である。左の瞼が閉じられていた。ただ閉じているだけでないと察せられるのは、顔全体が僅かに崩れているからだった。片眼を閉じている以上の非対称が造りに出ているのだ。

【新書→雑誌】・残る右眼がまた異様なのである。まず黒い。白目が少ないためだろう。(p139上)→残る右眼。それがまた異様なのである。まず黒い。暗いというよりも黒いという方が近いのだ。そして白目が少ない

【新書→雑誌】・「こちらがテナガ―様で?」(p139下)→「こちらがテナガ―で?」
※雑誌でもこの場面以外はテナガには様付けして読んでいる闇佐ですが。

【新書→雑誌】・「そのためにわたしがおります」(p139下)→「そのためにわたしがおります。テナガ様のカタメが

【新書→雑誌】・出発の準備はすでに整っていたようだ。(p139下)→出発は即座にとのことだった。すでに準備は整っていたようだ。

【新書→雑誌】・闇佐が仕えている峰邑家は、元を辿れば神藤家の譜代であり、(p139下)→闇佐が仕える峰邑家は元々神藤家の譜代であり、

【新書→雑誌】・ことそれが神藤家に関わるものとなると、口にしにくい空気がある。(p139下)→ことそれが旧神藤家に関わるものとなると、語られにくい空気があった
※神藤七宗が常闇に呑まれたあと、神藤家は滅んだんでしょうか…。

【雑誌のみ】・日入国真州に現れた常闇は、その正体、起源共に謎だが、神藤七宗の責を問う声は上がらない。誰もが可能性を感じながら語り合おうとせずにいる。形女衆は、その謎に関わっている可能性がるのだった。(新書p140上1行目の前に入る)

【新書→雑誌】・そして雨鉄炮の異名を持つ形女衆は七宗直属の鉄炮備であった。その真髄を知ることは、神藤七宗について知ることにもなるだろう。だが、それにしても―(p140上)→鉄炮備がほとんど神藤七宗の私兵であったことは事実。もしやと、闇佐は思わないではいられない。彼を知れば、常闇の正体がその一端でも明らかになるのではと。常闇奉行に務める者すべての、それは希望でもある。しかし―

【新書→雑誌】・訊かれたカタメは背に三本の鉄炮を背負い、テナガの手を引き歩いている。(p140上)→聞かれたカタメは背に三挺の鉄炮を背負い、テナガの手を引いている

【新書→雑誌】・まず十尺より近い所にあるものの一切がぼやけて見えないらしい。しかしその代わり、(p140上)→まず十尺より近い所にあるものの一切がぼやけるらしい。つまり見えぬ。代わり

【新書→雑誌】・雨鉄炮退治という目的が、(p140下)→村長が語った雨鉄炮退治という目的が

【新書→雑誌】・普通なら常闇に呑まれた土地は諦めるものだ。(p140下)→常ならば、常闇に呑まれた土地のことは諦めてしまうものだ


コメントなどありましたらお気軽にお願いします。
#9へ続きます。

次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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