【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』「英雄蠅」年表
『日入国常闇碑伝』は作品内独自の時代や元号で時系列もややこしく感じます。そのうえ色々な登場人物、地名が独特の名称で出てきます。
今回は「英雄蠅」の章で判明している出来事を年表にまとめました。
※常闇の発生は白永三年なので、この白永三年を基準として書いています。
以後ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。
この年表が再読の手助けとなることを願っています。
「英雄蠅」年表
―百葉時代―
(常闇発生一七年前) 守峰刀冶朗生まれる。(※1)
―常闇時代―
【白永三年】
常闇が発生する。神藤七宗軍が常闇に呑み込まれる。
常闇発生直後、峰邑家は望巳隊を常闇に送る。その際生還したのは守峰刀冶朗のみ。
刀冶朗生還直後:気病みとして牢に入れられる。
刀冶朗生還二月後:牢より出る。守峰の姓を名乗り、峰邑家家臣となる。
【白永六年】(常闇発生三年後)
峰木光介生まれる。
【白永二十年ごろ】(常闇発生十七年後)(※2)
常闇で峰木光介の元服の儀が行われる。
【石冬四年】
峰木光介、峰邑家剣術指南役になる。
【石冬六年】(常闇発生二十七年後)
魚雨月末(※3):守峰刀冶朗常闇にて死去。
笹目月(※3):常闇で群青具足の武者が遭遇する者を問答無用に切り捨てる。
笹目月末頃(※4):峰木光介、常闇奉行腹唐総衛門より群青具足の始末を命じられる。(①)
①の二日後:峰木光介と白堂闇佐が八見戸場に到着。(②)
②の翌日:午前、光介と闇佐が常闇に入る。夕刻頃、刀冶朗と対峙する。
【石冬八年】(常闇発生二十九年後)
峰邑家は峰木光介を初代隊長として明暗隊を設ける。
(常闇発生六十九年後)
峰木光介、常闇にて自刃。享年六十七。
(常闇発生七十八年後)
峰木光介の遺志を継いだ弟子たちが常闇払いに成功する。
ー常闇消失後ー
清菜幕府倒幕。
(※1)登場人物の年齢はすべて数え歳です。
(※2)明確にいつ行われたか書かれていませんが、数えで15歳前後に元服式が行われていた時代があったので、便宜上峰木光介が15のときに元服の儀を行ったとし、多少は前後すると考えています。
(※3)“魚雨”と“笹目”は暦の月名のことです。笹目月の前が魚雨月です。暑いか寒いかなどの記載もありませんでしたが、字面的に魚雨月が梅雨時期のような気がします。
新書p166では、刀冶朗が死去したのは先月末となっていますが、雑誌では魚雨月末となっています。同じくp166の“今月に入ってから”の部分は、雑誌で“笹目月に入ってから”となっています。
(※4)笹目月末頃としたのは、新書p167下に“報告がひと月ほど続いている”とあるためです。
コメントなどあればお気軽にお願いします。
ご覧いただきありがとうございました。
近日中に各章の年表をまとめたものをあげようと思います。
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