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【検証】『日入国常闇碑伝』常闇の正確な発生期間

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2020年4月22日水曜日

『日入国常闇碑伝』「英雄蠅」#2 守峰刀冶朗の活躍

【ネタバレ】詠坂雄二『日入国常闇碑伝』(講談社ノベルス)「英雄蠅」検証第2回


詠坂氏は初出時から書籍化、文庫化される際に手を加えています。
『日入国常闇碑伝』も例に漏れず、雑誌掲載時から書籍化(新書)する際の加筆修正があるので検証を行っていこうと思います。


『日入国常闇碑伝』の「英雄蠅」検証第2回目です。

「英雄蠅」は、『日入国常闇碑伝』全5章の中でいちばん初めに書かれた作品です。
最初に発表されたものですが、作品全体でみると時系列は一番時代が下って、常闇発生から二十七年後の話です。作者がひねくれてるのか『SF JAPAN』最終号に掲載されたからなのか。この作品単体だけでも楽しめるものですし、いちばん万人受けする話だと感じます。

今回の検証は冒頭守峰刀冶朗の活躍を書いた部分になります。

以下ネタバレありますので作品読了後にご確認ください。

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・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。重要な部分は太線にしています。


「英雄蠅」#2


【新書→雑誌】・常闇作法心得には及ばない。(p163上)→常闇作法心得には遠く及ばない

【新書→雑誌】・日入国真州の約四割を占める範囲ともなる計算だ。(p163下)→日入国真州の約四割を占める計算である

【新書→雑誌】・一夜にして神藤七宗の巨大な版図は常闇に覆われたと言ってよい。(p163下)→一夜にして神藤七宗の巨大な版図は常闇に覆われたのだった

【新書→雑誌】・その直後、神藤家の譜代でもあった時の峰邑家当主は、(p163下)→その直後、時の峰邑家当主は

【新書→雑誌】・後世「盲見の逃げ知らず」の語源ともなった隊は消息を絶ち、(p163下)→後世、「盲見の逃げ知らず」の語源ともなった隊の末路は悲惨なものであり

【新書→雑誌】・記述には「歳ハカソエテ十八トイヘリ」とあるので、(p163下)→記述には「としはかぞえで十八といえり」とあるので、
※守峰刀冶朗の年齢です。百葉時代の末期、神藤家の全盛期に生まれたことになります。

【新書→雑誌】・左右に握って軽々操ることができたという。(p163下)→左右に握って軽々操ったという

【新書→雑誌】・仲間を襲うためやむなく切り伏せた者の中には、(p164上)→味方を害するためやむなく切り伏せた者の中には、

【新書のみ】・牢を訪れた当主は二言三言刀冶朗と会話をし、それだけで牢より出すよう命じたという。(p164下)

【新書→雑誌】・峰邑家家臣として以後、活躍してゆくことになる。(p164下)→峰邑家家臣として以後、常闇の斥候として活躍していくことになったのだった。そこから彼の活躍は始まったのである

【新書→雑誌】・その思慮と蛮勇、(p164下)→斥候でありながらその思慮と蛮勇、

【雑誌のみ】・改めて振り返れば、刀冶朗の活躍は常闇発生より間もない時代であり、常闇がどのようなものであるか知られていないためにひとびとの戸惑いも深く、物語の生まれやすい素地があったと言うことができるだろう。より端的には、英雄が必要とされた時代であったのだと。(新書p164下16と17行目の間に入る)



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#3へ続きます。

次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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