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2020年1月21日火曜日

「もう1ターンだけ」#2

詠坂雄二『ナウ・ローディング』の短編「もう1ターンだけ」検証第2回目です。


シュミレーションゲームについて、柵馬が生徒二人と話している場面です。
お手元の文庫版と照らし合わせて読んでいただけると幸いです。

ネタバレがありますので作品読了後にご確認ください。





・【雑誌のみ】…文庫版では削除。文庫版のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫版書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…文庫の文が雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。



「もう1ターンだけ」#2

【文庫→雑誌】・「そもそも何をもって、囲碁や将棋をシュミレーションゲームの源流と感じたんですか」(p39)→「そもそも、何をもって源流と感じたんですか?」

【文庫→雑誌】・最初は真似だったのでしょう。(p40)→最初は真似です

【文庫→雑誌】・ルールが成立したあとのことを言えば、囲碁や将棋は確かにシュミレーションゲームの源流なんでしょう。(p40)→シュミレーションゲームというものが成立した後に限って言うなら、確かに、囲碁や将棋はそれらの源流であるのでしょうね。

【雑誌のみ】・そんなだから、講義を受ける生徒ひとりひとりのコースも把握していない。(文庫p41の1行目と2行目の間に入る)

【文庫→雑誌】・「僕らは同じサークルで、来月の学園祭までにゲームをひとつ作る気でいるんです」(p41)→「僕はグラフィック科で、尾藤はデザイン学科って違いはあるんですが。同じサークルで、秋の学園祭までにゲームをひとつ作る気でるんです」
※榊がグラフィック学科、尾藤がデザイン学科と判るのは雑誌掲載時のみで、四六版と文庫では上記のようになっている。秋の学園祭も、雑誌のみで四六判以降は来月の学園祭へ変更されている。

【文庫→雑誌】・そんなことを言った、今はもういない友人のことをふと思い出した。世界を作るとは、自分が世界をどう認識しているか考えるということ―自分自身の感性と向き合う行為でもある。(P41)→そんなようなことを言った友人を俺は思い出していた。たぶん、それは自分と向き合う行為であるのだろう

【文庫→雑誌】・それでも手はなかったと思いたくなかった。思い出すたび、何かできたはずだと自問自答してしまう。(p41)→それでも何もできなかったとは思いたくなかった。思い出すたび、どんなことを言えただろうと自問自答している。

【文庫→雑誌】・ただし、と俺は続けた。こうした思想は誰もが頷くものでもありません。「反論はいくらでもできる。(p42)→「はい。というか、あまりルールは気にされない気がします。スマホのソーシャルゲームなんて、ひとつのフォーマットを使い回すのが当然になってますし」現状に不満を抱く、いかにもマニアな意見だった。同意したい気持ちもなくはないけれど、今話すべきはそこでもない。「それもゲームのひとつのありようですよ。―さておき、今あげた思想は万人が頷くものでもないでしょう。反論はいくらでもできる。 ※尾藤の会話

【文庫→雑誌】・学園祭の次はゲームマーケット参加を目標にしてるんです。(p46)→学園祭の次は、来年のゲームマーケット参加を目標にしているんです。
【雑誌のみ】(p)

【文庫→雑誌】・彼らが事務室を出ていったあとにため息が漏れたのは、(p46)→彼らが講師室を出たあとにため息が漏れたのは、
※講師室となっているのは作者のミス。雑誌、四六判、文庫のすべてにおいて柵馬は講師室から事務室へ行き、事務室で榊と尾藤と話をした。


#3へ続きます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。


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