詠坂雄二『インサート・コイン(ズ)』の短編「インサート・コイン(ズ)」の検証第2回目です。
シューティングゲームがなぜ作られ続けるのかということに柵馬自身を重ね合わせています。
・【雑誌のみ】…文庫では削除。文庫版のどこに書かれていたかも記載しています。
・【文庫のみ】…文庫書き下ろしです。
・【文庫→雑誌】…雑誌ではこうだった。
というように書いていき、必要なところは解説も加えます。
ネタバレもありますので、以下は作品読了後にご確認ください。
「インサート・コイン(ズ)」#2
【文庫→雑誌】・言葉を文字にして遺すっていうのは、考えてみればデジタル的な発想ですよね……」(p193)→そう、音を形にして遺すっていうのは思えばデジタル的な発想ですよね……」
【文庫→雑誌】・人の言葉が定義の曖昧なものを繰り続ける限り、わたしたちの仕事が置き換えられることもないわけなんです」(p194)→文字が定義の曖昧なものを繰り続ける限り、私達の仕事がなくなることもないわけなんです。 ※多分、文字と言葉では、それまでに語っていた内容に食い違いがあるからの修正だと思われます。
【文庫→雑誌】・テキストを書くようになって結構経つ。(p209)→どこから数えるべきか判らないが、テキストを書くようになって結構経つ。
【文庫→雑誌】・「ほら、シューティングのハイスコアと同じでしょう。(P209)→「シューティングの必勝法と同じでしょう。
【文庫→雑誌】・そうでなくとも普段から仕事の愚痴を吐きがちな俺だ。(p212)→そうでなくとも、普段から仕事の愚痴を吐いている俺なのだ。
【文庫→雑誌】・あの人が言葉と文字に起こして説明してくれた色々と、(p212)→あの人が言葉にして説明してくれた色々と、
【文庫→雑誌】・収監さえ取材じゃないかと想像させてしまうほどの仕事を続けてきた人だ。(p214)→刑務所に入ることさえネタ取材じゃないのと他人に想像させてしまうほどの仕事を、十代から続けてきた人だ。
以上、いかがでしたでしょうか。表題作は他の連作と比べると、修正箇所は少ないように感じました。最後の訂正箇所から、流川のおおよその生まれた年も、1960年代中頃くらいと検討が付きますね。「穴へはキノコをおいかけて」で不惑すぎとなっていたので、1960年中頃から1968年までの間になりそうです。
ご覧いただきありがとうございました。
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